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個別記事の管理2014-10-03 (Fri)
カテゴリ 幸田文



すみれ



幸田文  
幸田文 過去記事
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   2014/10/4   秋の電話
   2016/10/18 幸田文 雨の萩
   2016/10/26 包む 和の心
   2019/12/15   こぼれ種




つた ライン

*幸田文の随筆

幸田文の随筆に魅かれるのは
磨かれたことばから放たれる情緒が心に沁みるから。

幸田文の世界に憧れるのです。

暮らしのなかから、言葉を紡いだ人は、暮らすことそのままが生きることでした。

日常を瞬時に切り取った見事さは、こぼれる言葉もやわらかく、
背筋の伸びた生き方は、人生を見つめる視点の鋭さになりました。

季節が移ろうあいだの、ありやなしやの変化に耳をすませ、
余情も細やかに言葉にのせるのです。


本の題名に魅かれることがあります。
「季節のかたみ」という随筆を幸田文が書いていました。

幸田文1季節のかたみ 幸田文



今、その本を手にすることはないのですが、
一年の各月を表現した文章のメモのみ残っています。

そのうち好きな表現の月を書き出してみます。


・二月はものがしいんと、うち静まる月。

・三月はものの始まろうとする月。
 動きだそうとする月、つまり気鋭の月ともいえるだろうか。

・四月は花のひらく月。
 心もひらけて闊達になる月。
 四月ほどめざましく心のひらく月はない。

・九月は手練手管にまどわされそうになる月とでもいうのか。
 そう、事物にまきこまれず怜悧にありたい月、なのである。
 ものにまどわされないでいるとき人は素直でやさしくて、
 たのしいし、情緒も心ばえも養われる。

・十一月は心気の澄む月。
 風物も冴えてみえる月。おもしろみのある月。


幸田文の世界が懐かしいのですね。
生活を通して形作られた日本人が美徳としてもっていたもの、
失われたものの郷愁がこみ上げてくるからでしょう。
自身の感性に響くことばは、深く心に届きます。



つた ライン


☆..:*・゜☆..:*・
季節のかたみ。
殊に、この表題に懐かしさを覚えていました。
しかし、なぜ殊更にこの言葉にひきつけられたのだろうと考えていました。

得心がいったのです。

小学校の頃、「かたみの小箱」という少女小説を
大切に読んでいたのです。
ここに「かたみ」と言う言葉が使われていたからだと。

成育時の体感として、懐かしさの芯となる感覚が残っていたのです。

言葉には出会いがあり、その感動は出会うたびにいっそう慈しみの対象となり、
思い出の中に生き続けていたのです。


つた ライン



*かたみの小箱

・・・・・・・・・・・・・・
図書館に勤めているお母さんが大好きな
二人の兄妹の心温まる日常が描かれます。

タイツ作 袋一平訳としたその本の最初のページには、
「こどもにとって、母親にまさる天からのおくりものは存在しない」
書かれています。


私の弟と妹が、その挿絵の中の、
仲の良いリョーシャとターニャの兄妹に思えていました。
1950年代に出版された粗い紙の
黄色く変色した本が、かろうじて手元に残っています。


世界少女小説全集「かたみの小箱」講談社刊
 タイツ作 袋一平訳 関口恵美子装幀 岡野謙二挿絵

年月が過ぎ、あたたかな思い出が
この言葉をいっそう輝くものにしていきました。
かたみの小箱





建物のライン

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* Category : 幸田文
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とりとめのない駄コメです * by 末田
よもぎ御前は「良妻賢母、かくあるべし」との明治の気風を強く受け継がれた
御母堂に薫陶を受けられたようですねぇ・・

幸田本は全く見たことがないのですが、随筆の断片から私めの母方の祖母の匂いを感じました。 突き放して観れば、祖母が幸田風な感性を持っていたのではなく、良妻賢母のたしなみとして、窮屈ながら無理して纏っていたもののように思われますが・・・

窮屈ながら纏おうと、偽善のために心中の冷笑と伴に纏おうと、生涯にわたり
貫けば立派な人格であり、他人がゴチャゴチャ言うことではありません。

世の中の秩序と良風を守るためには偽善であれ、偽りであれ」一定の演技(振り)が必要なのでしょう。 しかし、良風の保持とは云え、これに四六時中縛られるのは苦痛であり、綻びが出てきます。 そのバランスのとり方が古いオナゴは下手だったのかなぁ、と考えさせられました。

狐狸庵センセイは「珍木」などという宗教学の講座で読まされるような駄本を書きながら片方では、便出賛がどうたらとお戯れだったようですから、人間は精神世界でも一定の幅がないと生きてゆけないのかもしれません。

よもぎ御前が憂国の詠嘆がてら、幸田さまでホッコリされ、また、駄洒落を並べてイッヒッヒ、と笑われるのも健全至極なのかもしれませんね。 

・・私めの感想(ひがみ)では駄洒落のニコニコが一番似合っとりますよ・・

Re: とりとめのない駄コメです * by yomogimochi1012
> よもぎ御前は「良妻賢母、かくあるべし」との明治の気風を強く受け継がれた
> 御母堂に薫陶を受けられたようですねぇ・・

・先祖も篤実な人が多いようです。母の両親も兄弟も働き者ばかり。その中で末っ子の母は真面目には違いないのですが、お転婆で、今でも明るく楽しい人です。私ときたら、
働き者であれば良いのですが、硬くて面白味のないところだけを受け継いでいるみたいです。
トホホ・・・


> 幸田本は全く見たことがないのですが、随筆の断片から私めの母方の祖母の匂いを感じました。 突き放して観れば、祖母が幸田風な感性を持っていたのではなく、良妻賢母のたしなみとして、窮屈ながら無理して纏っていたもののように思われますが・・・

・明治の女の我慢強さ、腹の括り方に凄いものを感じているのですが。
今の人間が感じるほど、窮屈だとは思わず、むしろ旦那を立てつつ、上手に生きていたとも思ったりして。一概には言えないものですね。
> 窮屈ながら纏おうと、偽善のために心中の冷笑と伴に纏おうと、生涯にわたり
> 貫けば立派な人格であり、他人がゴチャゴチャ言うことではありません。

・幸田文に限って言えば、父親の幸田露伴の家事全般にわたることから、全てに於いて、
厳しい躾を受け、そのことが後年、作家幸田文を誕生させたとも言えます。
窮屈を遥かに越えた仕込みを受けた幸田文の姿は、随筆の中に登場しますが、たしか「なた」という題でも
端的に描かれていたと思われます。


> 世の中の秩序と良風を守るためには偽善であれ、偽りであれ」一定の演技(振り)が必要なのでしょう。 しかし、良風の保持とは云え、これに四六時中縛られるのは苦痛であり、綻びが出てきます。 そのバランスのとり方が古いオナゴは下手だったのかなぁ、と考えさせられました。
>
> 狐狸庵センセイは「珍木」などという宗教学の講座で読まされるような駄本を書きながら片方では、便出賛がどうたらとお戯れだったようですから、人間は精神世界でも一定の幅がないと生きてゆけないのかもしれません。

・遠藤周作については、同じ様な意見を書いていますので、先で載せます。

> よもぎ御前が憂国の詠嘆がてら、幸田さまでホッコリされ、また、駄洒落を並べてイッヒッヒ、と笑われるのも健全至極なのかもしれませんね。 
> ・・私めの感想(ひがみ)では駄洒落のニコニコが一番似合っとりますよ・・

・はい、承ります。(^^ゞ 確かな目で批評され、good job と申し上げるほかありません。(^^♪


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